筆者は史上最高の左サイドバックとしてパオロ・マルディーニを推したい。ロベルト・カルロスの方が上とか異論はあるだろう。でも、ここまで完璧なDFは現在でもお目にかかれるものではない。
対面のアタッカーがテクニックで来ようがスピードで来ようが1対1で抜かれることはなく、ロングボールにも185センチの長身を生かしたヘッドで跳ね返す。80年代のミランの複雑な戦術をものにして、若くしてレギュラーを確保したように、高度な戦術理解力も併せ持っていた。
攻撃に転じては陸上選手ばりの大きなストライドのダッシュで攻め上がり(トヨタカップでのオーバーラップの迫力に歓声が上がったのが印象的)、左右両足でのクロスも正確。勿論、上がったきり戻ってこれないサイドバックではなく、上下動を繰り返すことのできるスタミナもあった。
そんなマルディーニの同時代に、同じ左サイドバックでライバルだった若者がいた。その名はアンドレア・フォルトゥナート。
ミランのライバル・ユベントスの選手で、マルディーニより攻撃力を持つ選手で、俊足を生かした攻撃参加に加え、FWのようなドリブルテクニックで敵陣深くへの侵入を得意としていた。マルディーニが恵まれた体格で敵アタッカーを圧殺したのに対し、フォルトゥナートは俊敏なスピードディフェンスで突破を許さなかった。
イタリア代表でも左サイドバックの定位置はマルディーニであったが、彼を脅かす存在としてフォルトゥナートは台頭してきていた。両者の才能を生かすため、センターバックもこなせるマルディーニを中央へとコンバートし、フォルトゥナートを左サイドバックで起用するべしと世論は高まっていた。
ところがこの布陣は幻となる。フォルトゥナートが弱冠24歳の若さで白血病に倒れることになったからだ。94W杯は治療のため選ばれなかったのだ。
一方、マルディーニはバレージ不在のアズーリ守備陣を支えて決勝まで導き、EURO2000まで世界最高の左サイドバックとして君臨した。膝の怪我や加齢で瞬発力が衰えて以降はセンターバックに移ったが、40歳まで現役を全うした。何ともやるせない対照的なサッカー人生である。
もし、フォルトゥナートが存命であれば、マルディーニはより早くセンターバックにコンバートされ、94年W杯に臨むアズーリ、更には、その後のイタリアサッカー界の運命も変えたかもしれないと言える。