W杯大会前のメンバー選考ってのは世界各国で悲喜こもごもを生んでいる訳ですが、大会前に故障してしまって、大会を棒に振った有力選手も多々いる訳です。
94年W杯を臨むイタリアはレギュラーに予定していた選手が3人故障で使えなかった。一人はマルディーニのライバルと言われたアンドレア・フォルトゥナート。2人目が右サイドのユーティリティープレイヤーだったアレッサンドロ・ビアンキ。そしてジャンルイジ・レンティーニ。
レンティーニはイタリアでは貴重なレフティのウインガータイプのMF/FWで、スピードとテクニックがあり、サイドからの突破とクロスでアシストを量産していた。
トリノ時代にブレッシャーノというFWとの2トップで得点を稼がせたいた訳だが、レンティーニとのコンビ解消後は並のFWに落ち着いてしまっただけに、レンティーニの力量が優れていたことの証明と言えますね。
その活躍を目にしたミランとユベントスが獲得を争います。90年代前半のイタリアがまだ好景気の頃だったこともあり、移籍金はどんどん釣り上がり、ミランが当時イタリアはおろか世界史上最高額の30億円で獲得することに。「30億円の男」の異名の始まりですね。もっとも、この異名はマスコミ対応がたまたま冷淡だったために「天狗になってる」と憤怒した記者が嫌味で書いたとのことですが。92-93年のシーズン前のことです。
当時はまだミランのオランダトライアングルが健在で、ルート・フリットに、このシーズン新加入のモンテネグロの天才デヤン・サビチェビッチといったワールドクラスのサイドアタッカー達とスタメン争いをして定位置を確保した(彼らには外国人3人枠というハンデがあったが)。アズーリでもレギュラークラスで、ロベルト・バッジョと並ぶ攻撃の切り札としての評価を得ており、94年W杯に向けて期待の存在だった。
ところが順風満帆だったレンティーニのサッカー人生に暗雲が立ち込める。93-94のプレシーズンに自動車事故で重度の複雑骨折に眼球の損傷。しかもこの時、車に一緒に乗っていたのがサルバトーレ・スキラッチの妻で、不倫発覚というスキャンダルのオマケまでついた。この大事故大怪我により94年W杯を棒に振ることになります。
完全復帰は94-95シーズン半ばまで待たなければならなかったですね。一試合持つスタミナという点ではまだまだでしたが「裏街道」で突破できるまでスピードが戻り、95-96のプレシーズンで来日して清水エスパルスとの親善マッチで、豪快なオーバーヘッドを決めたのは30億円男完全復活を印象付けました。
次シーズンでのミランでの活躍を期待しましたが、ロベルト・バッジョの加入もあって定位置確保ならず、アタランタに放出されますね。30億円男都落ちと思われましたが、10番のドメニコ・モルフェオに操られ、フィリッポ・インザーギにアシストパスを供給し、昇り竜の若手2人に押し上げられるかのように、アズーリに復帰することになります。
しかし代表監督のサッキが退任してミラン監督に転身し、チェーザレ・マルディーニが代表監督となり、サイドアタッカーの必要のないシステムに変更されたため、以降、召集されることはありませんでした。
ここまで振り返ってみると、レンティーニは、十分すぎる才能はありながらも、時代のめぐり合わせのせいで、羽ばたくことのできなかった天才と言えますね。この不運を一体誰が悪いと言えるのだろうか。