2010-2011年のサンプドリアはセリエBに降格してしまったが、90年代前半のサンプはチャンピオンズカップ(当時)の決勝に進出したことのある強豪だった。ミランやユベントスのように選手層厚く豪華という訳ではないが、濃ゆ~い個性派を揃えたチームだった。
マラドーナやファン・バステンといった「神」をも恐れさせたハードかつクリーンなストッパー・ビエルコウッドが突破を許さず、82ブラジルの「黄金の中盤」の生き残りトニーニョ・セレーゾが老獪なプレーで中盤を構成。攻撃に転じてはロベルト・マンチーニとジャンルカ・ビアリの名コンビがゴールを奪う。ビアリのユーベ移籍後はミランを追われたルート・フリットが加入し、中盤で激しくプレスに参加したと思えば、前線に走りこんで豪快なシュート決める「中盤の自由人」として大復活しました。
とはいえ、メンツは個性的といっても、サンプドリアもまた基本的にはイタリアのチームなので、戦術は守備ブロックによる堅守と前線の個人技による速攻ですね。そんな単調なチームにあってアクセントをつけ続けたのがアッティーリオ・ロンバルドです。
攻守に運動量豊富で、ドリブル突破からのクロスや、右サイドを基点としたダイアゴナルラン(斜めの動き)でゴール前に飛び出してのチャンスメイクやシュートは敵守備陣を混乱に陥れました。好調時には後ろから来たロビングをダイレクトで叩いてシュートを決めるようなワールドクラスのプレーも飛び出したり、間違いなく90年代前半のイタリア屈指のサイドアタッカーと言える存在でしたね。
しかし、それでもアズーリには定着できませんでした。94年W杯のメンバー選出に推した識者も少なくなかったですが、イタリア代表のアリーゴ・サッキ監督に「守備意識が低い」と嫌われたため選ばれませんでした。でもプレスに参加しないとか、決してそういう選手ではなかったんですよ、ロンバルドは。
「守備意識が低い」とはどういうことだったのか。94-95年にカズが唯一のゴールを決めたジェノアとのジェノバダービーで、ロンバルドが得意のフリーランで右サイドから縦横無尽にワンツーなどでパス交換して最終的には左サイドに流れていくというシーンがありましたが、サッキ監督はこういうプレースタイルを好まなかったようですね。ボールを奪われた時に、その空けたポジションをカウンターの起点に使われて逆襲を食らってしまうから。
守備している時に攻撃に転じることも考えた動きをし、攻撃時には守備のことも考えたポジショニングをとり、リスクを最小限にする。イタリアサッカーの真髄がこの辺りにある気がします。
なのでリスクを犯す勇気を持つロンバルドはイタリアで生まれながらも、あまりイタリア向きでない選手だった。ユーゴスラビアのイビツァ・オシム監督であれば、この運動量とテクニックを兼ね備えた選手を存分に使いこなせたかもと夢想しますね。